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記録ではなく、記憶に残る登山を。


僕はまだまだ、ストップウォッチをもって登り続けます。 

アルバイトで買った時計

アルパインクライマーであり、ヒマラヤやアラスカ、ヨーロッパの山々を撮影する映像カメラマンである平出和也。彼が登山を始めたのは、大学生になってから。高校では陸上部に所属し、競歩の選手だった。その頃使っていたのは、ランニングのラップが取れる小型の時計だった。やがて登山に出会い、平出が初めて手にした時計が、SUUNTOの「エクスランダー」である。「親の影響があったと思いますが、僕は若い頃から、長く使えるものを選びたいと思っていました。フェイスにクリスタルガラスを使用していて、強化アルミニウムボディのエクスランダーを見たとき、これだって思ったんですよね。山小屋の荷揚げなどのアルバイトをして、お金を貯めて買いました」。
陸上競技は他者と競うスポーツであったが、登山はちがう。「人と競うのではなく、自分と対峙できるもの、自分ですべての責任を負う活動、そんなことをしたいと考えていたんです。僕にとっては、陸上競技ではラップを測る時計を使っていましたが、エクスランダーを手にしてこれからは、スタートもゴールも自分で決めるんだって思いました」。

初めての8000m峰へ

エクスランダーとの最初のヒマラヤ登山は、1998年、中国チベット自治区にあるクーラカンリ東峰(7381m)だった。平出にとっても、ヒマラヤ初見参であった。当時所属していた東海大学山岳部の遠征隊に参加。見事、初登頂を果たしたそのあしで、平出は他大学の山岳部で活動していた仲間とふたりで、チョ・オユー(8201m)へ向かった。チベット自治区とネパール国境にそびえる山だ。クーラカンリは先輩たちに囲まれて登ったけれど、今度は同い年の仲間とふたり。「8000mってどんな世界なんだろうと思ったんですよ」と話す。世界に14座ある8000m峰は、山に登るものにとってはある種格別な存在である。7000m峰とは違う世界。「僕の時計に、8000mを越えた標高の記録を残したいと思ったんです。ログブックをつけました。8000mを越える付近では、ちらちらと繰り返し時計を見たことを覚えています」。
「それから、ほんとうに多くの山を共にしました。2008年まで使っていましたから、10年以上です。まさに、僕の登山の歴史を刻んでくれた時計ですね。途中でレザーベルトが切れて、ほかのベルトに替えました。カメット(インド、7756m、2008年)のときは、軽量化を考え、クライミングギアのラックにベルトを改良して直接吊り下げていました。

※画像は2001年のチョ・オユー。左手首に見えるのが「エクスランダー」
※写真:大石明宏

天気を読む

"ABC機能"と呼ばれる標高(Altitude)、気圧(Barometer)、方位(Compass)を知る機能が搭載されたものを、アウトドアウォッチと呼ぶが、SUUNTOは、アウトドアウォッチのフロントランナーである。山に登る者にとっては、時刻を知らせてくれるだけでなく、気圧の変動を読み取ることができるのは、天気を予測する手助けとなり、大いなる味方だ。
とくに平出のように辺境の地で登山をしていると、気象情報を得るのが困難であったり、また未踏の地ゆえ、その地域の気象に関する情報がまったくない場合もある。そうなると、自分自身が頼りだ。ベースキャンプでは雲の流れや気温などを記録する。吹き流しを立てて風の様子も観察する。それに加えて、SUUNTOで気圧の変動を読む。「エクスランダーでは、気圧の変動が矢印で示されたので、視覚的によくわかりました。その後使っているコアではグラフで表されるようになったので、さらに助けられています。カメットのベースキャンプで、大雪が降ったことがありました。けれど、それまで自分で得ていたデータやSUNNTOで気圧の動きを読み取っていたんで、この後必ず晴れるってわかっていました。晴れたらすぐに登山を再開できるよう準備していました」。

体調の管理

高所登山では、標高に身体を順応させる作業が必要だ。6000mで酸素の量は平地の半分以下、エベレスト山頂になると1/3以下となる。しかし人間は不思議なもので、標高の上げ下げを繰り返していくと、徐々に身体が慣れてくる。そのときひとつのバロメータとなるのが、心拍数だ。平出は、昨夏のシスパーレ(パキスタン、7611m)の登山では、ベースキャンプまで「トラバースアンバー」を使って、心拍数を記録していた。最初は早かった鼓動が、次第に落ち着いてくる。日ごろ40台の平出は、標高4500mのベースキャンプでは、やがて60程度になる。「昨年はエベレスト、デナリで撮影の仕事をしたのち、シスパーレに向かいました。高所登山が続いていましたが、高所順応はすぐに解けてしまうもので、その都度順応し直します。けれどどうやって順応していったらよいか、身体が覚えているんでしょうね。経験を積むにつれてスムーズになります」。「ベースまでは慎重に順応しますが、そこから先は状況が違います。雪崩の危険があるところやセラックの下は、走って通過することもあります。クライミングの核心部では、心拍数はどうなっているんでしょうね。緊張で呼吸が浅くなることもあるかもしれません。けれどそれよりも登っていくことに、ワクワクしているときの方が多いですね」。

画像2017シスパーレ 

撮影の刻

「撮影のときに役立つのが、日の出日の入り時刻の表示です。山のなかで僕がいちばん好きな時間は、夕焼けが終わり、太陽が沈むその瞬間から月が出てくるまでの間です。空が紫色に染まります。マジックアワーと呼ばれる時間帯ですね。この時間を自分自身が味わうためにも、また撮影をするためにも、逃さないように時計でチェックします。スパルタンはGPS機能が付いていますから、現在地の日の出日の入り、そして月の満ち欠けもわかるので、マジックアワーが割り出せるわけです」。

「マジックアワー」とは、写真・映画の専門用語である。圧倒的な光源となる太陽が沈んだことによって影ができなくなり、色の様相がソフトになる。しかしこの時間はそう長くない。空は刻々と色を変え、闇の夜へと移っていく。このわずか十数分間の薄明の時間帯は、世界が黄金色に輝く。平出はかねてから人物を撮影するとき、その人の輝いている部分を撮りたいと話している。マジックアワーも、人が輝きを見せる瞬間と同様、1日のなかで奇跡のように空が美しく染まるときだ。
「僕は月が出る瞬間も好きです。月の光が山を照らし、闇夜に白い雪の山が浮かび上がってきます。真っ暗だった景色に変化が起こる瞬間ですね。そういう自然のなかで起きる移り変わりを撮りたいんです。自然が織りなすライティングです」。

 

※画像は2011年 ネパール アイランドピークより夕焼けのマカルー

※撮影:平出和也

異国で走る

 

「高校の陸上部だったときは、朝練で20km走り、1日に100km走る日もありました。風を切って走る、あの感覚は変らず好きです。いまでも時間を見つけては走っています。40歳を目前にひかえて、今後いかに体力を維持するかも考えます。一方で、日本にいる時間は限られており、そんな時は家族とゆっくり過ごしたいと思っています。若い頃のように自分のためだけに時間が使える生活ではありません。けれど量は減っても、トレーニングの質を高める努力をしていきたいですね」。平出は、合間をぬってトレーニングの時間を作るのも上手い。ちょっと空いた時間に、自宅近所の河原や公園を走ったり、旅先で朝、ジョギングをする。
「シスパーレへ行ったときも、イスラマバード(パキスタンの首都)で毎朝走っていました。ホテルの門を出て、地図もなく走り出すので、「1時間走った」ということはわかっても、走った距離を割り出すのは難しいです。そんなときも、この時計があれば簡単ですよね。GPS機能が搭載されているから、距離も標高差もわかります。トレーニングにも役立ちます。それに僕は、旅先で走るのが好きなんですよ。街を走り回って、自分たちがいる場所が見えてくる、そんな気がします」。

 

※左手首に見えるのは「コア クラッシュ」

第二の登山人生

平出は、昨年8月、4度目のトライでシスパーレに登頂した。「人生をかけて登りたい山」に出会ってから、頂上に達するまでに15年を費やした。直後は、「これで一区切りがついた。先のことはゆっくりと考えたいです」と言っていた平出であったが、いまでは目標を見据えている。
「これまで7000m峰で実践してきたクライミングを、8000m峰でやってみたいと考えています。K2西壁に残されたラインがあるんです。K2は、これまでもたくさんの山頂から眺めてきた山です。今年の夏に偵察し、来年の夏が本番です。いまはまだ可能性が小さいけれど、この可能性を1年半かけて大きくしていくことが課題です。カメットなど記録に残る登山をすることはできましたが、記録ではなく、記憶に残る登山をしたい。また僕自身も、多くの人の記憶に残る登山家になりたいと思います。シスパーレだってさんざん失敗を繰り返したけれど、登ることができた。そういう登山における生き様は、すなわち僕の人生でもあるんです。この姿を息子にも、そして若い人たちにも見てもらいたい。僕は元来、飽き性なんですよ。けれど20年近く登山を続けて、まだまだ登りたいと思っています。それだけ登山は魅力があるのだと思います。人生を通して続けるに値する行為です。いまここにストップウォッチがあって、自分でストップボタンを押さない限り、いつまでも登り続けることができるんです。僕はまだまだ、自分ではストップボタンを押したくありません。もっともっと高みを目指して、困難性を求めて、登っていきたいです。

 

 

インタビュー+文=柏澄子
注釈の無い写真は全て中島健郎

Suunto Spartan Sport Wrist HR Baroは、屋外での使用に適した丈夫なカラータッチスクリーン、100m耐水性能、便利なリストHR測定機能を備えたマルチスポーツ対応GPSウォッチです。コンパスと&FusedAlti™による気圧高度をもとに、コースから外れないように確実にあなたをガイドしてくれます。ランニング、サイクリングをはじめとするさまざまなアウトドアスポーツに励むアスリートにとって理想的なトレーニングパートナーです。


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長野県出身。2008年インド・カメット峰(7756m)に新ルートから登頂し、登山界のアカデミー賞といわれるピオレドール(黄金のピッケル賞)を日本人として初受賞。世界的に評価される。挑戦的な活動をする傍ら、現在プロフェッショナルの山岳カメラマンとして活動している。
2017年植村直己冒険賞受賞
2017年シスパーレ(7,611m)北東壁新ルートから登頂でピオレドールアジアを受賞


>第1回安田大サーカス団長